2015年12月18日金曜日

国鉄時代の不祥事の事例

国鉄の不祥事のうち、眠っていて始発電車の時間になっても駅を開けられなかったとか、信号を見忘れたとかの不注意ミスは除き、完全にこれは国鉄職員の行動として問題があるだろうというのをまとめてみました。(1987年に国鉄は民営化されたが、その理由の一つに国鉄の職員の態度が悪く、民営化して職員にもっと規律を持たせようとしたのもある。)
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1985.12.13
神奈川県横浜市の山手駅で車掌が2日酔いで降りる方とは反対のドアを開けた。

1984.10.19
午前1:48ごろに兵庫県明石市の西明石駅構内で寝台列車が脱線。32人けが。機関士はルートの変更を伝達されていたが、忘れていた。また、機関士は前夜に飲酒をしていた。

1984.7.24
国鉄の鹿児島鉄道管理局で登用試験問題が事前に漏えい。18人を処分。

1983.10.31
東京上野駅で、車掌が乗務を忘れて休憩室で休んでいたため、電車が発車できなかった。さらに場内放送で、車両故障と嘘をついた。

1982.6.9
愛媛県の松山鉄道公安で五人の勤務表は「日勤」と書いてあったのに、実際には、宴会をしていた。

1982.5.14
香川県の志度-屋島間の走行中の列車のホロを開けた国鉄職員に厳重注意。暑かったので車内に風を入れようとしたらしい。

1982.5.13
栃木県国分寺町の小金井駅で酒に酔った非番の運転士が乗り込んでわめき、運転中の運転士を困らせた。

1982.4.3
国鉄職員は運賃無料のパスを持っており、それを悪用して50人ほどの運転士が競馬紙を運ぶ副業をした。また、同様に精密機器を運ぶ副業をしているグループもあり、16人が処分された。月15万円ほどの収入となっていた。
この行為は国鉄での職務違反となる。

1982.3.19
国鉄博多駅でみどりの窓口の閉鎖時間を増やして休み時間を作る一方、給料だけは正規勤務分をもらっていた。

1982.3.15
名古屋駅で寝台特急が連結先のディーゼル機関車に衝突。14人けが。機関士は乗車前に飲酒して居眠り運転をしたもよう。

1980.5.19
国鉄の運転士が覚せい剤取り締まり違反で逮捕された。この運転士は、電車を運転するごとに常用していた。国鉄の運転士として史上初の覚醒剤による逮捕者。

1978.3.16
横浜市の矢向駅で運転士が寝過ごして電車が運休。ブレーキ故障のための運休と嘘の報告をし、乗客にもそのように伝えていた。

1977.4.13
栃木県の黒磯駅で国労の組員4人が駅長に包丁を持ってきて「自分の腹を切れ」と脅した。職員の1人が年休を取ろうとした結果、駅長にその日は出勤してほしいと頼まれた、しかし、その頼みを断り職員が休んだために駅長がその職員を出勤当日休み扱いにしたところ、このようにつるし上げにあった。
(ちなみに1977.5.25は、大阪で年休を取る人が多すぎて、2本の電車が運休になっていたりしており、国鉄の運行上、従業員に年休を取り下げてもらうのはそこまで問題ではない。)

1977.4.10
身延線の国母駅で勤務中の助役が信号の切り替えを忘れ、電車が止まった。助役は勤務中に酒を飲み寝ていた。

1976.6.15
東京都青梅市で運転士が走行中の列車を止めてから降りて、ポイント清掃中の駅員と喧嘩をした。運転士は線路から離れるのが遅かった駅員に窓から注意をしたが、それに駅員が反論して喧嘩になった。

1976.2.24
鹿児島県川内市で列車運行中の機関士が、貨物列車の通過までの待ち時間を使い、パンを買いに行ったところ、ブレーキが甘かったのか列車が動き出した。機関士が慌てて戻ろうとしたらダンプカーにはねられ命を落とした。国鉄の規定では、基本的に機関士は列車から離れてはいけないことになっている。

1968.9.29
国電青梅線の貨物列車の運転中、機関士と助士が喧嘩を始め、列車を止めた。機関士が酒に酔っており、助士が酒に酔ってるから運転止めろと言ったことで喧嘩になり、助士が運転を止めた。

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ここから下は、国鉄の順法闘争による混乱の事例 (順法闘争とは、ストライキみたいに完全に電車の運行を止めてしまうのではなく、安全運転だと称してノロノロ走って乗客などを困らせて国鉄に自分たちの要求を通りやすくする戦法である)
(40年代後半から毎年のように順法闘争が行われてたがここでは主な混乱の事例をまとめた)

1983.3.15~17
国鉄の労組は3日間、ストライキのために順法闘争を行った。全国で250本ほど運休、8000本ほどが最大50分の遅れが出た。労組の要求は勤務時間内に風呂に入れさせろなど24項目に及んでいた。

1977.12.5
勤労闘争で電車が減速で走っていた。このような勤労闘争で乗客はイライラが募っていた。西船橋駅と船橋駅の間で止まった電車から非常コックでドアを開けて船橋駅まで300人ほど線路を歩き出して混乱に拍車がかかる。秋葉原駅では、警官と乗客がはげしくもみ合う。飯田橋駅や亀戸駅で窓ガラスが叩き割られた。津田沼駅で乗客が駅員を殴る。船橋駅では、駅員がつるしあげられ、改札近くの窓ガラス1枚割られ、電車に投石されフロントガラスが割られる。本八幡駅で約二百人の乗客が駅事務室に押しかけて精算窓口のガラス7,8枚割られた。
[参考 読売新聞1977/12/6 朝刊]


1975.11.26~12.3
国鉄の労働組合が禁止されているストライキ権を得るために11.26~12.3の間、ストライキを行った。ほとんどの列車が運休した。

1973.4.24
赤羽駅で列車がなかなか到着しないことに乗客の不満が高まり到着した列車を破壊、窓ガラスを割ったりした。また列車内で発煙筒が燃やされたり、運転台への放火騒ぎもあった。列車の運行は完全にストップ。他の駅にも暴動が波及し、上野駅では投石や発煙筒を燃やしたり、窓ガラスなどを破壊。新宿駅では、料金精算所や売店が襲われ、鉄道公安室に放火。このほか、渋谷駅、秋葉原駅、有楽町駅などの計38駅で破壊・放火などの暴動があった。

1973.3.13
高崎線は沿線沿いの住民が急増したことと国鉄の労働争議が相まって遅延していた。そのような中、埼玉県上尾市上尾駅で列車が大宮駅までで運行を打ち切るという構内放送があった。その放送を受けて怒った乗客が運転室の窓ガラスを割った。駅長室で乗客による暴力で駅長と助役が負傷。さらに別の列車の運転席の窓ガラスを破壊や投石などが行われた。周辺の桶川駅、北本駅、鴻巣駅、熊谷駅でも窓ガラスを割られるなどの被害を受けた。

1972.4.26
順法闘争中に電車が故障で止まったことにより、西船橋駅では乗客が駅長室を占拠、三鷹駅では駅長室のガラスが割られた。

1969.5.29
三鷹駅で電車の遅れで怒った乗客が助役をこづき始め、電車が発車できなかった。このあおりで、荻窪駅付近で止まっていた電車から乗客が降りて電車の窓ガラスに投石。窓ガラスが割れる。国鉄労組は順法闘争でノロノロ運転をしていた。

1969.2.28
国鉄総武線で下総中山駅、西船橋駅、船橋駅、津田沼駅、千葉駅で、乗客によって駅長室の窓ガラスが割られるなどした。今まで順法闘争で電車に遅れが出ており、翌日にはストライキの突入ということもあって乗客はいらだっていた。

1957.8.30
国鉄は、労組の闘争に対抗するための鉄道公安員の募集試験を東京駅などで行ったが、その試験を阻止するため労組は試験の警備にあたっていた公安ともみ合った。

1957.7.13
国鉄労組新潟の闘争が始まってから108時間が経ったとき、新潟県吉田町の西吉田駅で乗客500人ほどが怒り、椅子を投げて列車のガラスを割った。

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ここから下は、"間接的"に国鉄の労組に問題がありそうな事例
1986.9.24
早朝に首都圏25ヶ所で国電の通信ケーブルが切断される。国電最大の労働組合である国労が民営化反対ストライキの自粛へ方針転換したけれど、それに反発した過激派による犯行と思われる。また、ケーブルが切断された場所も目立たないところであり、施設や路線に詳しい国鉄関係者が疑われている。

1985.11.29
首都圏や大阪府で国電や西武鉄道でケーブルが切断される。また、東京都台東区の浅草橋駅で駅舎が放火される。国鉄民営化に反対していた国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)を支持する中核派の犯行と断定された。後にこの事件に国鉄職員2名も加わっていたとされる。


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その他の鉄道系のリンク
JR北海道による事故やヒヤリの事例

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その他の国電でのできごと

1984.7.20の深夜に山手線の品川-大崎駅間の電車内で、老人が向かいに座っていた男の喫煙を注意したところ、殴られそうになった。それを見た19歳の大学生が、間に入って老人を助けようとしたところ、男と殴り合いになった。鉄道警察は男とともに大学生も暴行容疑で書類送検をした。

後にこの大学生は無罪の判決を受けた。

1972.11.6に福井県で急行「きたぐに」が北陸トンネル内で火災が発生し、そのままトンネル内に止まった。この事故で30人が亡くなった。国鉄のマニュアルでは、火災が発生した場合、トンネル内であってもすぐに列車を止めるというものであったのが被害を大きくした。
この事故以前に、1969年に北陸トンネル内で走行中の寝台特急から火災が発生したときは、乗務員が機転を利かして、国鉄のマニュアルに反してトンネルから寝台特急を脱出させてから消火作業に当たったため被害は大きくならなかったが、乗務員はマニュアルに反したとして国鉄に処分されていた。

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