2021年1月19日火曜日

暴走族という単語ができた富山事件について

 暴走族という単語ができた富山事件がどのような事件だったかを

1972年の読売新聞の記事をもとに説明する


1972年6月17日(土曜日)深夜から18日未明

富山県富山市で道路をサーキット場代わりに若者たちの乗用車が暴走

ヤジウマが三千人ぐらいいて五百人ぐらい国道8号線や市道に乱入

通りかかりのタクシーや消防車を足蹴にして車体をへこませる

暴走の末に乗用車が商店に飛び込む。

その商店からヤジウマが茶やタバコなど五十万円相当を盗む


1972年6月24日(土曜日)午後から25日未明、富山県富山市、高岡市で

狂走サーキット族と野次馬排除に警察千二百人投下

仕事から帰宅途中の自転車が暴走車にはねられる。一人命を落とす(富山市)

富山市では千人以上のヤジウマ、高岡市では八百人のヤジウマ(読売新聞より)


1972年7月1日午後から富山市と高岡市で狂走サーキット族と野次馬一掃へ

道交法違反で201人検挙

県道にカンシャク玉を投げるなど10人のヤジウマを軽犯罪法で調べる


この後、金沢、岡山、高知などに暴走族騒ぎは飛び火した

(7月18日の夕刊になぜ地方の都市で暴走騒ぎがあったのかの記述があった。
この記事で刺激され大都市でも同じような騒ぎが発生するかもしれないが、
一つには大都市ほど地方の警察は警察力がない、
もう一つは、地方は大都市ほど娯楽がないと書いてあった)