2015年11月15日日曜日

マイリトルポニーのThe Hooffields and McColtsの元ネタ

マイリトルポニーのS05E23で"The Hooffields and McColts"が放映された。
この題名の元ネタはハットフィールド家とマッコイ家の争い(Hatfield-McCoy feud)である。
ハットフィールド家とマッコイ家について調べてみた。

(ちなみにマイリトルポニーの題名の方はHooffieldsのHoofは馬の蹄という意味で、McColtsのcoltは5歳くらいまでの若い雄馬という意味で、馬とかけている)


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ハットフィールド家とマッコイ家の争いとは、1878年から1891年にアメリカで実際にあった話である。

1878年にハットフィールド家のフロイド所有の豚を、マッコイ家のランドルフが自分のものだと主張したことで最初の争いが始まった。このことは裁判沙汰になり、両方の親族のビル・ステイトンの証言により、マッコイ家が敗訴した。1880年6月には、証言台に立ったビル・ステイトンはマッコイ家のサムとパリスに殺害されてしまうが、マッコイ家の二人は正当防衛によって釈放された。

その後、マッコイ家のロザンナとハットフィールド家のジョンシーが恋に落ち、ロザンナはハットフィールド家で暮らすために家出をした。その後、ロザンナは、マッコイ家側に戻ったが、ジョンシーとロザンナが再び以前の関係に戻ろうとした際に、ジョンシーはマッコイ家に監禁された。ジョンシーは必死に馬で駆け付けてきたロザンナによって救出された。

しかし、ロザンナが命をかけてジョンシーの救出を手伝ってくれたにもかかわらず、ハットフィールド家のジョンシーは、妊娠したロザンナではなく、彼女のいとこのナンシー・マッコイと結婚した。

1882年にハットフィールド家のエリソンがロザンナ・マッコイの3人の兄弟に刃物で26回刺されてさらに銃弾を受け殺害された。マッコイ家の3兄弟は巡査に捕まり、裁判のためにパイクビルに連れていかれた。しかし、パイクビルに着く前に、巡査とマッコイ家の3兄弟は、ハットフィールド家の集団に捕まってしまった。そして、ハットフィールド家の集団はマッコイ家の3兄弟を木にくくりつけ、銃を計50発撃って殺害した。

ハットフィールド家や周囲の住民は復讐は正当だと思っていたにも関わらず、ハットフィールド家は約20人の男が起訴されました。しかし、ハットフィールド家すべての人間が起訴されたわけではなかった。このことが、マッコイ家と、マッコイ家のマーサと結婚したペリークラインを怒らせた。ペリークラインは、自身の政治のコネを使って、ハットフィールド家の逮捕に報酬を払うと発表した。

確執は1888年の新年の夜にピークに達した。ハットフィールド家の数人がマッコイ家の小屋で寝ているマッコイ家に発砲した。2人の子供が撃たれ、女性は叩かれて死んだ。

この事件により、1888年にハットフィールド家の8人が逮捕された。そして、裁判にかけられて、7人は終身刑、1人は公開絞首刑であった。当時はこの法律は禁じられていたが、一連の暴力行為を終わらせるための戒めの判決だと思われる。こうして、争いは1891年にひとまず終止符を打った。

(参考:wikipedia ハットフィールド家とマッコイ家の争い 日本語版と英語版)
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マイリトルポニーでは、健全な少女向けアニメになっているけど、元ネタはすごく血みどろである。





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