2015年10月14日水曜日

いろいろなルートビア系のジュース

ルートビアは一回飲んでハマる人と一回飲んだらもう二度と飲まない人がいる。もう二度と飲まない人は、こんな湿布くさい変な味がするジュースをよく飲めるなという意見が多い。

ちなみに自分はハマった人である。カナダに観光旅行に行って、疲れた時に空港で飲んだルートビアは疲れを癒すかのように自分の喉を潤した。

日本に帰った後、その味が忘れられず、日本各地でいろんなルートビアを買って飲んだ。以下に紹介(と言っても4種類だけだが・・・)



まずは、基本のA&W

A&W ルートビア 355ml 【6缶】

日本の本土では、沖縄フェアをやっている店などで売られている。
(沖縄ではアメリカ軍基地があるせいかアメリカ生まれのA&Wは普通にスーパーで売られていて、日本でのルートビアと言ったら沖縄である。)

そして、A&Wは下で紹介する3つのルートビアよりも日本でのエンカウント率が高かった(鈴鹿のドン・キホーテ、イオン京都五条店の沖縄フェア、新宿駅のどこかなどで買えた記憶がある)。

味は、自分にとって説明が難しく、スタンダードなルートビアの味だとしか言えない。



次は、DAD's

缶は青く、そこに黄色の看板が描いてあって、その看板内に青文字でDAD'S ROOT BEERと書いてある。味は、A&Wより湿布臭が強く、自分はA&Wより好きである。

相当好きだったので、一時期、東急渋谷本店で大量買いをして、1日1缶という飲み方をしていた時もあった。

東京以外ではあまり見たことなく、自分は名古屋駅構内のどこか(多分成城石井)で買って飲んだ記憶しかない。
(以下はこの時のエピソード。名古屋駅前でDAD's ROOT BEERを飲みながら歩いていたら、20代ぐらいの女の人に、「いやあ、ビールいいですね^^」と声を掛けられた。もちろん、ROOT BEERはBEER(ビール)という文字があるが、アルコールの入ってないジュースである。多分、僕がビールを飲みながら駅前を歩いている変な人に見えたのであろう。)

ちなみに、日本のアマゾンでDAD'sのルートビアを検索したが出てこなかったので、どこか商店に行って買わなければいけないみたいだ。




3つ目に黒松沙士
黒松沙士/缶【台湾コーラ】缶詰

台湾のルートビアである。
横浜の中華街で買って飲んだが、中華料理を食べた後だったので、そこまでおいしいとは思わなかった記憶がある。



最後ににsarsi
フィリピンのルートビアであり、先ほどの黒松沙士の沙士(さし)と同じような発音である。缶は青色でsarsiと白文字が書いてある。

東京上野のアメ横のセンタービルの地下で100円で売っていたので買って飲んでみた。
A&WやDAD'sに比べて何かわからないが違うと思った。A&WやDAD'sのようなアメリカのルートビアの方がおいしいと感じた。

ちなみにこれも日本のアマゾンでは売ってないみたいである。


(東京上野のアメ横のセンタービルの地下はDAD'sやA&Wやsarsiが売られていたり売られていなかったりする。)



2015年10月10日土曜日

過去に福岡市が水不足になったときの降水量

福岡市ではたびたび水不足に見舞われていた。

1978年は、5月から翌年3月までの287日間にわたり給水制限が行われた。
(1978年の年間降水量は1138mm 1890年からの統計で年降水量の少ない方から5位)

1994年は、8月から翌年5月までの295日間にわたり給水制限が行われた。
(1994年の年間降水量は891mm  1890年からの統計で年降水量の少ない方から1位)

2005年は年間降水量は1020mmで、1978年より少なかったが給水制限はなかった。
(1890年からの統計で年降水量の少ない方から3位。給水制限がなかった理由として、1994年の渇水以降、ダム、貯水池、25万人分を賄える海水淡水化施設が完成していたことと、水不足が懸念された7月に、まとまった雨が降ったことがあげられる。)

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(これらは2015年に書かれた記事です)

2015年10月4日日曜日

過去の高潮による大災害の事例(国際)

過去の高潮災害についてまとめる

1953年1月31日 オランダで荒天による高潮などにより1835人死亡
[参考 wikipedia North sea flood of 1953]

1959年9月26日 伊勢湾台風により愛知県西部や三重県北部で高潮を襲う。高潮以外の死者を含め、愛知県で3351人(名古屋市で1909人)、三重県で1211人死亡。
[参考 wikipedia 伊勢湾台風]

1970年11月12日 バングラデシュにサイクロンが上陸。死者数は少なめに見積もって205000人
[参考 wikipedia 1970年のボーラ・サイクロン]

1971年 インドのオリッサ州にサイクロンが直撃 高潮などで10000人死亡。
[参考 読売新聞朝刊 1977/11/22]

1977年11月21日 インドのアンドラ・プラテッシュ州の海岸をサイクロンが襲い、高潮と強風で死者6000人を超す。
[参考 読売新聞朝刊 1977/11/22]

1991年4月22日 バングラデシュにサイクロンが上陸。高潮などにより、少なくとも138000人死亡
[参考 wikipedia 1991 Bangladesh cyclone]

1999年10月 インドのオリッサ州にサイクロンが直撃 高潮などにより10000人死亡。
[参考 wikipedia 1991 Odisha cyclone]

2005年8月 アメリカルイジアナ州にハリケーンカトリーナが直撃。ルイジアナ州で高潮などにより1577人死亡
[参考 wikipedia ハリケーン・カトリーナ]

2007年11月 バングラデシュにサイクロン「シドル」が上陸。高潮などにより少なくとも3447人死亡
[参考 wikipedia Cyclone Sidr]

2008年4月 ミャンマーにサイクロンが直撃。ミャンマーで高潮などにより13万人以上の死亡・行方不明者が出た。
[参考 wikipedia Cyclone Nargis]

2013年11月8日 フィリピンでは、台風による高潮などで6201人死亡。特にレイテ島では高潮によって甚大な被害を受けた。
[参考 wikipedia 平成25年台風第30号]



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2015年10月3日土曜日

日本におけるシートベルト着用の歴史

日本国内では、1960年代から70年前半にかけて交通事故による死亡者が非常に多く、交通戦争と呼ばれるほどの社会問題となっていた。そのため、交通事故死者数を減らすために様々な努力が行われた。この一つがシートベルトである。このページはシートベルト着用の歴史について書いていく。

1969年にすべての新車には必ずシートベルトを取り付ける法律が、また、1971年に高速道路を走行する時はシートベルトの着用が義務であるという法律が制定された。しかし、この時はまだ一般道でのシートベルトの着用は義務ではなかった。

実際には、義務化された高速道路でもシートベルトの着用する人が少なかった。

1973年2月の新聞の記事にはこう書いてある。
実際にはほとんどの人がシートベルトを着用していない。警視庁交通部は車の乗車中に死亡した130人を調べたところ、シートベルトを着用していたのは一人もおらず、100人についてはシートベルトを着用していれば、死なずに済んだ可能性があった。
[参考 読売新聞夕刊 1973年2月21日]

ドライバーにシートベルトを着用してもらおうと、警察がドライバーにシートベルト着用を呼びかけたり、車会社、保険会社、政府などがシートベルト着用の新聞広告を出していた。しかし、法に強制力がないので、シートベルト着用者はまだ少ない。1983年の秋の警視庁調査では、高速道路では、ドライバーの着用率が28.7%、助手席同乗者が26.2%で、義務化されてない一般道は、ドライバーの着用率が23.4%、助手席同乗者の着用率が16.7%であった。
[参考 読売新聞朝刊 1984年2月6日]

このような状況と、さらに、1980年代また交通事故死亡者が増加したのに相まって、1984年に一般の道路でもシートベルト着用の義務、着用しなかった場合の免許減点の罰則の法律が検討された。総理府の調査でも、高速道路のシートベルト着用の強化賛成派が60.2%で、一般道でも50.7%であった。
[参考 読売新聞朝刊 1984年2月6日]
[参考 読売新聞朝刊 1984年11月26日]

そして、今まで高速のシートベルト着用は努力義務のみであったのが、1985年9月1日に高速道路でドライバーは自分がシートベルト着用していなかったら免許の点数が減点1となった。
[参考 読売新聞夕刊 1985年8月31日]

また、1986年11月1日に一般道でドライバーと助手席同乗者が、高速道路で助手席同乗者がシートベルトを着用していなかったら免許の点数が減点1となった。
[参考 読売新聞朝刊 1986年10月31日]

法律が制定された後は、ほとんどの人が一般道で必ずシートベルトを着用していたが、年月が経つにつれ一般道で必ずシートベルトを着用する人が減少した。総理府の調査で、必ずシートベルトを着用するのは1988年96.5%、1990年71.2%、1992年65.5%となった。若年層が特にシートベルトを着用しておらず、1992年の調査では、20代の人は必ずしも着用しないというのが47.3%であった。
[参考 読売新聞朝刊 1992年9月14日]
この後、なんとかシートベルトの着用率は持ち直した。


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さらに、2005年3月10日には、乗用車の運転席でシートベルトを閉めずに走り出すと警告音を出すように車会社に義務付けした。
[参考 読売新聞朝刊 2005年3月11日]

そして、2008年6月1日には後部座席も妊婦らを除き、シートベルト着用義務化となった。対象は、タクシーや高速バスも含まれる。高速道路で違反をすると運転者に免許減点1で、将来的に一般道でも減点にするつもりである。
[参考 読売新聞朝刊 2008年5月30日]
(ちなみに2006年の警察庁とJAFがの調査では、後部座席でのシートベルト着用率は、一般道で7.5%で、高速道では12.7%であった。)
[参考 読売新聞夕刊 2006年11月19日]



2015年10月2日金曜日

1971年の日本での異常潮位騒ぎ

台風がまだ遠目の場所にあるのに異常潮位になることがある。

1971年9月3日
静岡県清水市から三重県鳥羽市の海岸で30-50cmの異常潮位が観測された。静岡県清水市では午後4時過ぎ三保や美濃輪で道路が冠水、深いところは十数cmになった。気象庁の話では、異常潮位があっても高さ10数cmの異常潮位が年に数回だけ全国のどこかで観測されているだけで、30-50cmになることは珍しい。(この時期は大潮で、潮位が高くなってるが、さらに異常潮位で高くなった。)
(参考 読売新聞1971/9/4 朝刊)

1971年9月4日
静岡県清水市で4日朝も平常満潮時より潮位が34cm高く、再び道路が冠水した。大阪府大阪市の大阪港でも明け方に40cm近くの異常潮位が観測された。大阪市の中之島公園では遊歩道の一部が10cmほど冠水した。また、愛知県半田市船入町、浜町で満潮時に排水管が逆流して14戸が床下浸水。愛知県碧南市で市道が10cmぐらい冠水、愛知県東海市で知多西産業道路が30cmぐらい冠水。
(参考 読売新聞1971/9/4 夕刊 1971/9/5 朝刊)

1971年9月5日
同日午後千葉市沿岸部は1.03m潮位が高く、同日午前大阪港でも63cm潮位が高かった。[午前の満潮時]千葉県船橋市で100戸冠水、道路が20-50cm冠水。愛知県半田市船入町、浜町で17戸床下浸水。大阪府大阪市で国鉄桜島線が冠水、電車が不通になった。ゼロメートル地帯の東京都江東区で水門の故障により床上浸水119戸、床下浸水2200戸。[午後の満潮時]神奈川県横浜市横浜駅東口冠水、道路で4-50cmの冠水、80世帯が床下浸水。静岡県清水市、65戸床下浸水。大阪市で午後6時から桜島線がまた冠水で電車が不通。
(参考 読売新聞1971/9/6 朝刊)

1972年も異常潮位騒ぎがあった。広島や横浜で冠水(こちらは低気圧の影響)
1973年も7/31に大阪で満潮時の平均潮位よりも60cm潮位が高くなり、桜島線が不通。横浜市西区も市道が最高で70cmの冠水。
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黒潮の蛇行が原因だとか言われている。